意訳はどこまで許されるか

読者から意訳と直訳について質問されました。本日はこの問題ついて書いてみたいと思います。結論から言いますと、直訳が要求されるのは医学などの学術論文、契約書だと思います。ところがこのような分野でもある程度の意訳をしないとその翻訳言語では読みにくい文章になることがあります。この場合は、原文になくても言葉を補うとか、反対に原文にあっても翻訳言語では省く必要があります。

例えば英文契約書ではthe terms and conditions of this agreementというのが必ず出てきます。ところがtermも conditionも条件としか訳せません。ですからこの場合は「本契約の条件」と片方の言葉を省いて訳すしかありません。

翻訳の目的はメッセージを伝えることであり、あるいは読む人の心を動かすことです。したがって仕上がり原稿で読めるものでなくてはこの目的は果たせません。ですから原文からはずれてはなりませんが、ライターが伝えたいことを正確に伝えるのであれば語順だとか、文法だとかはまったく関係がなくなります。

ただし残念なことにクライアントの中にこの辺のことがよく理解できていない人がいます。このような人に限って英語の理解力が中途半端なのですね。このような担当者とお付き合いするときは型通り直訳にしますか、意訳にしますかなど、いろいろと具体的なことについて作業が始まる前に打ち合わせをしたほうが後のトラブルがありません。

意訳が必要あるいはmustなのは随筆、映画、ゲームであり、さらに徹底した意訳が必要なものは文学、哲学、宗教だと思います。

夏目漱石の草枕の冒頭の名文、「坂道を登りながら考えた。智に棹差せば角が立つ、情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」は、直訳はできませんよね。

下記の英文はイギリス人翻訳家アラン・ターニー氏の英訳です。

Going up a mountain track, I fell to thinking.

Approach everything rationally, and you become harsh. Pole along in the stream of emotions, and you will be swept away by the current. Give free rein to your desires, and you become uncomfortably confined. It is not a very agreeable place to live, this world of ours. 

(アラン・ターニー訳、THE THREE-CORNERED WORLD、ピーター・オーウェン・リミッテッド社p7)

私は英語から日本語より、日本語から英語の翻訳のほうが得意だと言っていますが、このような英訳は死ぬまでできないですね。

さて、漱石の文章は素晴らしいのでこの次も掲載します。

「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」

これに対するターニー氏の訳文は次の通りです。

When the unpleasantness increases, you want to draw yourself up to some place where life is easier.  It is just at the point when you first realise that life will be no more agreeable no matter what heights you may attain, that a poem may be given birth, or a picture created.

漱石の文章は短く、しかも極めて歯切れが良いですが、それと同様の歯切れの良さを保ちながら生きの良い英語となっています。ただし、初めの分節と次のものを比較した場合、初めの分節は「智に棹差せば角が立つ、情に棹差せば流される」という日本文化を完全に理解しても訳しにくい言葉がある分だけ翻訳は難しくなっています。これらは直訳したらとても分かりにくい英文になってしまい、いかに著者の言わんとするところを意訳するかが翻訳者の腕の見せ所となりますし、これが翻訳の面白さでもあります。

さて漱石のもう一つの名作に「吾輩は猫である」があります。この冒頭が「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」です。これも素晴らしい日本文です。英訳を見てみるとI am a cat. As yet I have no name. I’ve no idea where I was born. のようにどの訳者もこのような翻訳だと思います。しかし、この翻訳文では猫が威張りくさって、フンと捨て台詞を言っている雰囲気は出ていませんね。これは翻訳の限界であり、ある意味では英語の限界でもあると思います。

さて最後に英語から日本語で、難解な分野での名訳を参考に掲載します。ダライラマ14世の英訳講演の日本語訳です。

題名は The Meaning of Life from a Buddhist Perspective です。

What is the main thrust of Buddhist practices concerning behavior? It is to tame one’s mental continuum–to become non-violent. In general in Buddhism, the vehicles, or modes of practice, are divided into Great and Lesser. The Great Vehicle is primarily concerned with the altruistic compassion of helping others, and the Lesser Vehicle is primarily concerned with the non-harming of others.

日本語版の訳者石濱裕美子氏は全編(ダライラマの仏教入門、光文社)にわたって見事な翻訳をしています。
ここの部分の翻訳を引用させてもらいます。

仏教修行の主眼は「心の連続体(心相続)」を穏やかにし、非暴力を実践することにあります。一般に仏教では大乗、小乗の二つの修行の形態があります。大乗の修行では、主に利他の慈悲心を提唱し、小乗の修行では他のものを傷つけない慈悲心をおおむね提唱しています。

とてもうまい訳ですが、英語にあるものを削除し、英語にないものを追加していますね。これが意訳ですが、名訳はたいてい意訳です。

仏教の基礎知識のない方のため、テクニカルタームの英訳の一部を次にあげておきます。

impermanence: 無常
twelve links of dependent-arising: 十二支縁起
compassion: 慈悲
life in cyclic existence: 輪廻
four noble truths: 四聖諦
definite action: 定業
indefinite action: 不定業
afflictive emotion: 煩悩

これらのテクニカルタームを把握していませんと、このような専門書を理解し、翻訳することは困難になります。
理想的には同じ専門分野において著者と同等の体験と知識があったほうが、よりわかりやすく達意な翻訳が可能となりますね。

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